令和2年7月
「平木博美」のホームページにお越しくださいまして、ありがとうございます。
昨年6月に3期12年間務めさせていただいた神戸市会議員を引退して1年が過ぎました。
公職を辞したことで私自身の生活に大きな変化があったことはもちろんですが、世界中で広がる新型コロナウィルスの影響で社会も大きく変わりつつあります。生きていくうえで、自分が本当に大切にしたいものは何か、守りたいものは何か、自分の生き方を一人一人が見つめなおす機会になっているように思います。その必要性が叫ばれながら、これまでなかなか実現しなかったテレワーク、在宅勤務が多くの職場で取り入れられ、これからの新しい働き方の選択肢の一つになったのは、決まった職場から離れていても働けるという意味で、画期的な変化だと思います。
私は、3年ほど前に「キャリアコンサルタント」という仕事に出会いました。思いがけずかかってしまった癌などの病気の治療について職場に相談できず、あるいは相談しても理解が得られず仕事を辞めてしまう人が多く、病気の治療と仕事の両立をすることは難しく、治療が一段落してから仕事を探すのはもっと難しいという現実があると聞いていたからです。自らのキャリアを病気のために方向転換せざるを得ないというのは、大変なことです。私自身は職場の理解を得て、仕事を休まずに続けながら治療をすることができたのですが、それは恵まれた環境だったのだと思います。
若い仲間と一緒に始めることになった年をとってからの資格試験への挑戦は、学ぶ内容は理解できても覚えられないという自分との戦いでしたが、思いがけず、学ぶ過程で自分の人生の棚卸をすることになり、自分自身についても新しい発見がたくさんありました。幸い引退前に、国家資格キャリアコンサルタントの資格を取得することができ、一人でも多くの方の悩みや迷いを受け止めて、一緒にキャリアについて考えていけるキャリアコンサルタントになりたいと、仲間たちとスキルアップのための面接練習をしたり、様々な分野の勉強を重ねたりしています。
思いがけないご縁で、今は神戸大学キャリアセンターで大学生の就職活動のアドバイスをする仕事をさせていただいています。新型コロナウィルスの影響で、大学には登校できず、授業は全てオンラインという学生たちの今年の就職活動は、企業にとっても学生にとってもこれまでの常識が通じない状況ではありますが、就職先を選ぶ大事な時期であることに変わりはなく、学生一人一人が自分の納得のできる選択ができるように支援したいと日々オンライン面談に臨んでいます。
「キャリア」というと、社会的に報酬を得る仕事を指すことが多いですが、企業で仕事をすることも、ボランティアをすることも、専業主婦として子育てに専念することも、立派なキャリアの一つです。私は、企業に就職し、子育てのために専業主婦にいったんなりましたが、子供たちの成長に合わせて、ボランティアなどの活動範囲を広げてきました。常に、その時におかれた状況の中で「今、自分が社会のために何ができるか」を考えて活動し積み重ねてきたキャリアは私の財産です。人はみな 「社会のために働く」のだということを私に教えてくれた多くの人たちに心から感謝しています。
1957年3月3日
1979年3月 大阪大学法学部法学科 卒業
在学中にFresno Pacific College(アメリカ合衆国)へ留学
1975年3月 兵庫県立長田高等学校 卒業
2019年1月 「国家資格キャリアコンサルタント」取得
1979年3月 第一種普通自動車免許取得
1995年7月 TOEIC 945点
両親と夫、一男二女の7人家族。
2004年から2007年まで神戸SGGクラブ(善意通訳の会)会長として、会の運営に当たりながら、自らも通訳業務をこなしていました。2003年には、アルジェリア大使ご夫妻神戸ご訪問の際には同行通訳を担当した。
日本国際秘書学会会員、日本児童英語教育学会会員、全国小学校英語活動実践研究会会員。
1998年より、川崎市立東小倉小学校にて、全国に先駆けて、小学校における英語活動プログラムの企画を立ち上げ、企画運営委員長として運営にあたり、全国向けの研究発表なども実施した。
1987年から1993年のアメリカ合衆国カリフォルニア州に滞在中、「日本人保護者の会」を設立、会長を務めた。現地教育委員会にて、外国人保護者連絡会の会長を務めるかたわら、外国人学生のための英語プログラム作成、見直しに協力。外国人として地域では初の麻薬中毒撲滅委員会(The National Council on Alcoholism and Drug Dependence) の理事にも任命された。1993年日本帰国に際し、トーランス市、教育委員会より表彰を受けた。
2019年7月~現在
神戸大学キャリアセンター アドバイザー
2007年6月~2019年6月
神戸市会議員(中央区)
2005年4月〜 2006年12月
芦屋大学国際交流センター シニア・アドバイザーとして、運営業務に加え、大学生のための留学等カウンセリングも担当していた。
2005年1月
国連防災世界会議事務局スタッフとして採用され、インフォメーションデスクを担当した。
2001年11月〜2004年12月
山陰ミネル株式会社ワールド学院神戸本部英会話講師として勤務し、2歳半から中学生を指導した。
1997年1月〜1999年3月
株式会社佐藤恵子事務所に勤務し、社長秘書として、秘書業務全般、翻訳をこなす一方、マーケティングコンサルティング部門の実務スタッフとしてプロジェクト運営に関わり、顧客との折衝、アメリカ人教授の日本エージェントとしての通産省との契約締結、納入手配などを担当した。
1995年2月〜2001年3月
MASHワーカーズコレクティブを設立し、出資者、会社経営者として、経営に参画した。営業にあたる一方、防災用品の海外からの仕入れ交渉、手続き全般、および経理事務も担当した。川崎市内の小学校はじめ多くの幼稚園に防災備蓄品を納入し、各家庭用防災備蓄品販売も受託した。
1979年4月〜1983年6月
ソニー株式会社海外事業本部外国営業部欧州課勤務。同社で女性初の海外営業担当者として欧州への一般消費者向け電化製品の輸出を担当し、女性初の単身海外出張を遂行した。担当国はオランダ、ベルギー、スイスの3カ国で、特にオランダは、担当した3年間に年間売上高を7倍に拡大した。商品としてはオーディオ製品を担当し、欧州向けの新機種の開発などの企画に参画。営業担当者時代にウォークマンが発売され、欧州販売戦略を各国担当者と共に練り上げた。CD発売の全世界向け発表をイタリア、ミラノのスカラ座で行うにあたっては企画を担当した。同社顧問で日本を代表する同時通訳者の西山千氏の指名により、逐次通訳および同時通訳訓練の直接指導を受けた。社内の戦略会議では逐次通訳だけでなく同時通訳も度々担当した。