"Pay it forward !" 「あなたが次に困った人に出会った時に、その人にあなたが手を差し伸べてあげてくれればそれが私へのお礼になるのよ。その気持ちを次へつないで!」 夫の赴任で暮らしたアメリカで、人に助けてもらった時に、その人に対してお礼を返したいと言うと、誰もが皆、同じように同じ言葉で、「その気持ちを次へつないで!」と言ってくれました。直接的にお礼を返すのではなく、お世話になったことへの感謝の気持ちを別の人に、つまり社会にお返しをすることが、手を差し伸べてくれた人への最大のお礼になるということです。私達家族はアメリカで、一つ間違えば命を落としていたかもしれないような交通事故に遭いましたが、その時に多くの人達の善意に支えられた経験をし、「社会に生かされている」という感謝の念を持って生活できるようになったことは、我が家のかけがえのない財産になりました。人は誰もが「社会に生かされ」、そして「社会のために働く」ことを皆が教えてくれたのです。
私たちは常に周囲の方々に支えられて生活をしています。私は、事故後「今、自分が社会のために何ができるか」を考えながら、ボランティア活動などに取り組んできました。アメリカでは、日本人保護者の会や外国人保護者の会会長、麻薬中毒撲滅委員会理事を務め、市教育委員会から表彰を受けました。帰国してからもPTAなどの地域活動や、小学校英語活動立ち上げなどに積極的に関わってきました。
私は、阪大卒業後ソニーに就職し、海外営業担当者として「女性初の単身海外出張」を含め充実したサラリーマン生活を送りました。結婚後も国内外を飛び回っていましたが、その時代ソニーにはまだ育児休暇も復職制度も整備されていませんでしたから、出産に伴い退職して専業主婦になりました。会社の従業員は代わりがきくけれど、「母親」はその子どもにとって唯一の存在であり、幼い頃にはなるべく親子一緒に過ごして育てたい、という思いを強く持っていたからです。
ところが、子育てのために専業主婦でいたおかげで夫の海外赴任に同行し、家族でのアメリカ駐在生活を経験することができました。アメリカで出会ったボランティア精神が、その後の私の人生を大きく変えることになったのです。アメリカで家族が生活する機会がなければ、私は今でも”Pay it forward !”の言葉の持つ深い意味を理解していなかったのではないかという気がしています。
神戸でも通訳として、言葉の壁に悩む在住外国人の生活支援や観光案内などのボランティア活動を続けています。ボランティア活動が縁で新しい世界との出会いがあり、今は神戸市会議員として仕事をしています。議員の仕事は、自分が関わり続けてきたボランティア活動の集大成とも言える「社会のために働く」仕事だと私自身が理解し、それを家族が応援してくれたことで50歳での新しい一歩を踏み出すことができたのだと思います。
キャリアというと、社会的に報酬を得る仕事をさすことが多いですが、「専業主婦」も立派なキャリアの一つだと思います。育児書に書いてある通りにはならない子育てに日々向き合いながら、私は母親として、人間として多くのことを学び、子ども達を通して社会での活動を続けてきました。「ボランティア」も立派なキャリアです。私は、我が家の子ども達の成長に合わせて、専業主婦から徐々に活動範囲を広げてきましたが、今では子ども達も成人しました。常に真剣に「今、自分が社会のために何ができるか」を考えて活動し積み重ねてきたキャリアは私の財産です。人は「社会のために働く」のだということを私に教えてくれた多くの人達に感謝しつつ、これからも「生活者の視点」を大切に、社会のために働き続けていきたいと思います。